拝啓、世界のエンターテイナーへ

九月十五日、推しがまた一つ歳をとった。

 

私にとっての推しとは、ゲーム実況者の幕末志士坂本龍馬のことである。顔も手も知らないその人にドツボにはまり魅了されたあの日から、随分と時間がたつ。

 

今まで私は幕末志士について、このはてなブログで勝手に想いを述べつづけてきた。特に坂本龍馬という人について語りだしたらキリがない。彼のセンスが好きだ。彼の声が好きだ。彼の編集が好きだ。彼の掴みどころがない一方で、変なところでやたら素直な性格が好きだ。彼のひたむきな努力が好きだ。彼の、なにもかもが好きだ。

その中でも一点、とりわけ好きなところを答えなさいと言われたら、私はこう答えるだろう。

 

坂本さん。

私はあなたのエンターテインメントにかける情熱が大好きです。

 

 

坂本龍馬は世界のエンターテイナーである

道化の華として

彼はよく自分のことを『世界のエンターテイナー』と呼ぶ。

 

その時の朗々とした感じが好きだ。

少し大仰なその自称にはおそらくいつものピエロ的な部分も含まれているのだろうけど、私にとっての坂本龍馬という存在は『世界のエンターテイナー』に他ならない。たとえそれが、彼にとっては『道化』に含まれるものだとしても。

 

以前私はこんなツイートをしている。

 

 

この呟きはスマカス拳の感想なので、正確に言うと役柄がずれている。けれども一番今の感情を表してる呟きだと思ったので引用した。

 

スマカス配信時、彼はソロとしては初のYoutube生放送だった。その声は少しこわばっていて、こちらにまで緊張が伝わってくるほどだったのを覚えている。それがゲームをした瞬間、いつもの様子に変わった。その流れが狂おしいほど好きだった。

また配信内容も(本人にとっては悔しいものだったかもしれないが)、あまりにも彼その人らしい展開だった。

 

坂本龍馬やパニ山パニ夫。魅力的な坂本派生のキャラクターの数々。誰も知らない中の人が演じるそれらには、ある共通点がある。

それはピエロとして最高のエンターテインメントを提供してくれているという点だ。

 

霧崎鋭は坂本龍馬の夢を見る

大学時代の霧崎鋭は、クソサイトのことをこのように表現している。

「僕のピエロッぷりを明らかにするサイトです」と。

正直なところ、なぜそんな十五年以上もピエロに囚われているんだ……とも思うが、良くも悪くもこれ以上に彼らしい言葉はないだろう。

彼がわざわざ動画で人間失格の一文を引用するほど、熱心な太宰治ファンというのも納得できる。

 

そんなピエロの集大成が、インターネット上での坂本龍馬というキャラクターなのだろう。

どんでん返しに長け、感情豊か。頭がよく回る一方で、変なところで抜けている。トークセンスもあり、どんなに話を聞いていても飽きない。

演者自身の魅力ももちろん根底にあるが、彼の生来の道化が最高の形で昇華され、活きているキャラクターだ。

だからこそ、坂本龍馬は世界のエンターテイナーなのだ。

 

彼にとってのエンタメとは

辞書的な意味でのエンタメ

ここで彼が言うエンタメの意味について再考したい。

 

まずエンタメを辞書で引くと、

kotobank.jp

『楽しませてくれるもの』、『人を楽しませるもの。楽しむためのもの。娯楽。』というような意味が出てくる。

 

また手元の英和辞典を引くと、このような意味の他に『もてなし』というのも載っていた。

放送などを聞くかぎり、個人的にはこの『もてなし』という意味も多く含まれているような気がする。

人を楽しませたい、何事においても楽しみたい。そのために自分は何ができるかという観点から、もてなしという名のピエロをする。

 

彼が面白いのは、普通の人なら気にも留めないところでもエンタメを見つけていることだ。

最近では、食生活でもエンタメを発見しているのが明らかになった。

 

日々の食生活にも喜びを

youtu.be

食自体に興味がないのに、食に楽しみはよく見出すというアンビバレントな様子がよくわかるのが上記の動画だ。

 

「エビを焼くということにエンタメを感じている」「(ブラックタイガーのような種類のエビが)焼いてくと、普通のエビの色になっていく。この変わり種みたいなところに遊び心を感じている」「砂肝も触感がすごいシャリシャリしてて、肉っぽいところに遊びを感じている」

 

理解できるかどうかはさておき、着眼点が実に鮮やかだ。

私が好きな言葉の一つに「すべての信号を花束と間違える」という文章があるが、それをふと思い出した。

周りが「え?」と思うようなこの僅かばかりのズレは、彼が食事を娯楽として消化しているのがよくわかる。

 

この話をした時に、尊敬しているフォロワーさんが「彼は食事じゃなくて、楽しい雰囲気を食べに来ている」と言っていた。

私もそうだと思う。

食事に興味がないのに、人とご飯に行ったり幹事をするのは、そこで生じる会話や思い出を大切にしたいからなのだろう。

もしそうなのだとしたら、人間が好きな彼らしい考え方だ。

 

娯楽は努力の上に成り立つ

そんな彼がもたらしてくれるエンタメは、想像もつかないほどの努力と気遣いが見受けられる。だからこそ、面白い。だからこそ高クオリティなのだと思う。

きっと私たちの知らないところで、途方もない労力をかけて準備をしているのだろう。その力の入れ具合には頭が上がらない。想像しただけで気が遠くなり、嬉しい、ありがとうの気持ちでいっぱいになる。

 

彼の編集はさりげなく、わかりやすい。

あまりにも自然にやってのけるので、注意しないと「なんだか今日見やすいな」と思いながら、その工夫を見逃してしまう。

 

例えばネカマのグルメでは、漫画のコマ含めた画像全てにコメントがかからぬよう編集が施されている。そのため視聴者はコメントに邪魔されることなく、漫画を読むことができる。

 

また私はデザインについて疎いのでなんとも言えないが、最近のYoutubeのサムネイルは5W1Hを意識しているのがわかる。Youtubeという新たな媒体を咀嚼しながら彼らしい編集方法で、見せ方を考えているのだろう。

 

音量や音質に対するこだわり、トークテーマ、準備、話のテンポやしゃべり方。ゲームに対する時間の割きかた。その一つ一つは積み上げられ、彼をより魅力的にしている。

 

『見せ方』は『魅せ方』だ。

 

時代とともにアップデートし続けていく彼の努力と優しさが滲みでた編集が、私はとても好きだ。

 

誕生日配信は魅力いっぱいのお楽しみ袋

己の誕生日に黒歴史を語る男

youtu.be

九月十五日の誕生日には、youtubeにて生配信があった。

『己の誕生日に黒歴史を語る男』は当初雑談配信かと思われたが、クリエイターのKさんの電話で事態は思わぬ方向へと向かっていく。

 

プレゼントとして用意された黒歴史ゲーを、坂本龍馬は行うことになったのだ。

 

世界に反撃したくなるんだよ、クルトンこねぇと!

もう、腹をかかえてヒーヒー泣きながら見た。笑いが止まらなかった。

なんでこの人こんなに面白いのだろうと心の底から思った。普段の雑念が消え去り(死ぬほど面白い)という感情しか残らなかった。エンターテインメントとして最高の伝え方だと思う。

 

黒歴史は彼のピエロに大きなスパイスを与える存在だ。

厨二的なシナリオと、彼のリアクション芸、ゲームを制作したクリエイター陣の熱意が合わさり、とんでもないクオリティに仕上がっていた。

欠落の再来だと思った。

 

最高同接は2.2万。

彼の地道な努力がある種の形で花開いたと思うと同時に、彼の力を見せられた気がした。ハマってもハマっても、彼の底はいまだ見えない。常に予想以上のエンタメをみせてくる。それが彼だ。坂本龍馬という男だ。だから私はこの人を推していきたいと思ったのだ。

 

それだけさ人生は!

誕生日配信の主コメには「それだけさ人生は!」と書いてある。

この『それ』がどうしてもわからない。黒歴史をさすのか、エンタメか、はたまた別のなにかなのか。

わからなくていい。わからないままでいいんだ、と思う。

 

この主コメで某有名な唐詩を思い出した人も多いだろう。

もし意識したのならば、花に吹く嵐は確かに彼の人生に似ている。一方でからりとした主コメもまた実に彼らしい。

「それだけ」と語る彼の人生は美しい色彩に満ち溢れている。

 

そんな彼が好きだ。

これからも坂本龍馬が提供するエンタメを、全力で楽しみ、全力で応援していきたい。