幕末志士は子供時代の夢を見るか?

 幕末志士の動画を開くと、プールからただよう塩素の香りを思い出す。それもただのプールではない。中学校での五限目、退屈な授業をぼんやりと受けている時にふっと鼻をかすめる自分の洗いざらしの髪の香りだ。


 断言する。


 彼らがまだ活動を始めて間もない一年、二年あるいは三年目、それでも彼らはすでにインターネット上では神様だった。


 現在はとっくのとうに大人となった自分も、その当時はあどけのない少女で、今とは何もかもが違っていた。

 授業中に机の下でこっそり恋空を読み、好きな男の子からのメールの返信でREが続くことに至上の喜びを感じ、教室の隅ではときメモが大流行、モバゲーやヤプログをしていない人はありえなくて、そしてこんなにYouTubeが人気になるとは誰もが思っていなかった。当時のニコニコ動画は動画媒体としては圧倒的に頂点に君臨していた。そういう時代だった。

 暇さえあれば皆ニコニコランキングを毎日巡回して有名な投稿主や動画について語り合っていたし、なによりニコニコ動画特有の湿り気を帯びたどこかダークな感じが少年少女にとってはたまらなく魅力的だった。

 

 それは私にとってもそうで、私は夏になるといつもクーラーをガンガンに効かせた部屋で宿題を置き去りに朝から晩まで永遠にニコニコ動画を流していたしょうもない夏休みの日々を思い出す。そんなニコニコ動画内でも勇者のようなスーパーヒーローのような人気者は幾人もいて、そのうちの、いやその中でも群を抜いた存在だったのが幕末志士という二人組の若者だった。


 正直なところ、当時の私はあまりゲーム実況にはまっていなかったので、彼らについてまるで古参のように語ることは決してできない。けれどもそんな私でも彼らの名前を知っていたし、彼らの動画は数本は見ていた。

 

 初めて見た動画もその感想も好きなところも忘れてしまったなかで、五限目の教室、塩素の匂いのする髪を弄びながら(まさやが話してた幕末志士、名前は知ってたけどずっと見てなかったし見ないとな)と思った、そのぼんやりとしたはじめての記憶だけが、強烈に脳裏に焼けついており、彼らの名前を見るたび頭の中でその記憶が蘇る。ちなみに当時の彼らは私にとって、明るくて仲が良くて遠い存在で、実ににぎやかな大人のお兄さんだった。

 


 だからこそ、長い時が経って、彼らに改めて夢中になった時驚いた。彼らはまだプールの残り香を纏っていたから。
 あの頃単純に声質がいいという理由だけで、少女の私が死ぬほどモテるし死ぬほどイケメンだろうと勝手に予想していた坂本さんは、本人の話を聞く限りモテやイケメンとはかなり遠い位置にいて、少なくとも私がニコニコ動画に夢中になっていたあの頃は大学で研究を熱心にする一方で友達とご飯を食べたり試験の愚痴を言い合ったり、あるいは会社に入りたててでヒーヒー言いながら仕事に励んでいたようで、それはあまりにも自分に覚えがある生活だった。

 それから大人びて見えていた西郷さんは実はかなり天然かつ天真爛漫な男で、これも私を驚かせた。

 

 放送で私生活を語ってくれる時点で、二人がどんなにキャラクターを演じていても、彼らが人間であること、この世界に確かに存在していること、そして私とたいして変わらない庶民のおだやかな日々を生きていることは否が応でも感じてしまう。二人は神様なんかじゃなかった。神様ではなく、親友と仲がいい、無類のゲーム好きの、一庶民の年上の男たちだった。それでも二人は子供時代をまだ生き続けていて、私にとっては変わることのない存在に違いなかった。

 

 

 大人だからこそ、変わらない存在であり続けることや子供時代を生き続けることの難しさが今ならわかる。
 例えば少女のあの頃、同じように洗い立ての髪を靡かせていた同級生の進路や今の状況を私はほとんど知らない。ゲームよりもコスメや服の方にお金をかけてしまうし、くだらないことを話せる友達もぐんと減り、かわりにお酒を片手に結婚や将来のことについて語る友人が増えた。Twitterでこそ馬鹿みたいに毎日騒ぎ立てているものの、現実世界では少女の時のようにオタク全開で周りに無差別に好きなものについて語ることもなく、周りの人間は私を無趣味だと思っている。

 

 きっと大人である時点で、彼ら二人も大なり小なりそういうことは経験しているだろう。大人になってから子供時代を生き続けるには、それ相応の努力と覚悟が必要で、彼らの動画が奇跡的な展開と子供の時のような無邪気さと異様なテンションを繰り広げる裏で血の滲むような努力と時間が費やされていること、そしてたまにもらす苦労を聞くとその大変さがわかるような気がする。

 

 けれども、だからこそ、この二人が好きになった。

 どこまでも朴訥で穏やかな札幌という地方都市で「好き」に対して悩みながらも人生を変え、前へと進んで、けれども一方で楽しみながら努力し続ける姿勢はどこからどうみても美しい。いつまでも、いつまでも、終わらない流れ星のように彼らを見つめていたいと願ってしまう。

 

 二人はいつもプールの残り香を私に連れてくる。
 今日の夜、その舞台をニコニコ動画からYouTubeに移してもなお、彼らはきっとどこか懐かしさを帯びた配信を行うのだろう。

 

 そうして私は私のように彼らの名前を見た時自身の子供時代を思い出す新規の方もいるんじゃないかと思うと、無性にわくわくしてしまうのだ。